まず、ヒップホップ・カルチャーが発生する以前のソウルダンスやヒップホップのダンスを総称してストリートダンスと語られるようになるのは、80年代後半にストリート文化としてヒップホップ・カルチャーが一般化されてからだ。
そのストリートダンス…。ここでは50年代の流れを踏まえた60年代からをストリートダンスの起源とする。ヒップホップの成立ちで記したようにヒップホップ/ストリートダンスとアメリカ黒人音楽/ブラック・ミュージックは共存しており、黒人文化/ブラック・カルチャーとも関わりが深いのでそれらと平行して記していく。
先天的なリズム感を持ち、飛ぶ・走る等の身体能力に長けているアメリカ黒人。だが長き時代を差別と貧困の中で生きてきた。彼らは大きな成功を得るには持って生まれた能力で勝負する。スポーツ選手か音楽、ダンスの芸能世界が近道とされた。だが、そこにも待遇の差別があり、見せ物的な舞台もあった。
アールデコの装飾で優美なアメリカ30年代のニューヨーク。ハーレムの『コットンクラブ』に代表される黒人芸能を売り物としたナイトクラブはデューク・エリントン楽団などの優れたアーティストを出演させていた。スウィング・ジャズの演奏とジャイヴ(Jive)やタップダンスで白人社交界の夜を彩る。その中で自身の楽団を持つ歌手、ダンサーでもあるキャブ・キャロウェイ(Cab Calloway)とタップダンス兄弟のニコラス・ブラザース(Nicholas Brothers)は特筆する存在だ。同じ時代のタップの名手であり映画俳優として活躍していたのがフレッド・アステア(Fred Astaire)とジーン・ケリー(Gene Kelly)。このふたりと比較するとキャブ・キャロウェイ、ニコラス・ブラザースのダンスはよりワイルドで、驚愕の足さばきや身体能力を使って踊る。それは、2メートル以上はある高いステージからジャンプして開脚スプリットで着地して踊り続ける。黒人らしい個性と躍動感、そして新しいステップの開拓。黒人ダンサーの多くにこうした考えが受け継がれていく。
これまでのヨーローッパ伝統文化から離れ、アメリカ独自の生活デザインと言えるフィフティーズ文化が花開いたアメリカの50年代。シボレー、キャデラックに代表される車の大きさとデザインは良き時代を象徴していた。そんな時代に生きる黒人にはまだ独自のファッションは無く、多くの黒人がより白人的に見えることを意識していた。男性は細身のコンテンポラリー・スーツ。女性は裾広がりスカートに逆毛を立てて大きく盛上げたヘアースタイル。革靴とハイヒール・パンプスでのダンスは摺り足で踊るものが多い。
人々が集い踊るダンスパーティーやプロム(Prom/高校の学年末ダンスパーティー)。 バンド演奏やジュークボックスのレコード盤から発せられるリズム。人気があるのはシャッフル4ビートのブルース(Blues)とロックンロール(Rock’n’ Roll)。チャック・ベリー、リトル・リチャード、レイ・チャールズ、エルヴィス・プレスリー、サム・クック、フラミンゴス、キャデラックスといったアーティストで白人も黒人もツイスト(Twist)に熱狂し、ジルバ(Jilbab)やチャチャチャ(Cha-cha-cha)でダンスした。
そして、50年代にはドゥーワップ(Doo Wop)というコーラスのスタイルがある。やはり50年代ロックンロール&ポップ・ミュージックを代表するものだ。
ドゥーワップのスタイルを象徴する風景が、街角の街頭の下に数人の男が集まりバンド無しのア・カペラ/a cappella(無伴奏)で歌う姿。指でのスナップでリズムをとり、軽く足踏みするようにステップを踏む。それを取り囲む聴衆。ストリート・コーナー・シンフォニー(Street Corner Symphony)と表現され、現代ボーカル・スタイルの原点でもある。
この街角のステップがボーカルグループの振付けや、ソウルダンスに発展するのは言うまでもない。
◎ドゥーワップ:3人から5人のコーラスで構成され、リード・ボーカルと和音(ハーモニー)の中高音部のテナー、中低音部のバリトン、低音部のベースに分けられる。テナーとバリトンは和音だけでなくリード・ボーカルとの掛け合い(コール・アンド・レスポンス)の役割もある。
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